ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

日本のロック史(8) ロックの大衆化とプライベート化  1983~87年

1、ロックの大衆化

 (1)、ロックの大衆化

  ・テクノ/ニューウェイブの時代が過ぎ去った83年頃になると、もはや誰も「日本ロック」の存在に疑いを抱かなくなった。ロック/ポップ/歌謡曲のあいだの境界線が事実上消滅してしまったのである。これが、ロックの定着、そして大衆化である。矢沢永吉、山下達郎、RCサクセション、サザンオールスターズ、浜田省吾など70年代に登場したバンドやミュージシャンはすっかりメジャー化し、チャートの常連になっていた。佐野元春、大沢誉志幸などの新人もこうしたベテラン勢に負けない活躍をはじめた。

 (2)、メタルシーンの定着

  ・カルメン・マキ、紫、BOWWOWなどの活躍を経て、LOUDNESSの海外での評価に結実したジャパニーズ・ハード・ロックもいよいよヘヴィメタル時代に入って、44MAGNUM、EARTHSHAKERなどの人気バンドの出現でますます盛り上がっていった。こうしたなか、浜田麻里などのギャルズメタルや聖飢魔IIのような芸能メタルも登場して、ヘヴィメタ系も一大勢力として認知されるようになった。

 (3)、尾崎豊とBOOWY

  ①、尾崎豊

   ・ティーンズの大半は、大衆化の主役だったベテラン組がでは満足できなかった。彼らが求めたのは音的な新機軸やポップとしての精神性の高さなどではなく、“怒れる若者・悩める若者の代弁者”としてのアイドルだった。こうした期待を一身に背負うようにして登場したのが尾崎豊である。音として新しい点はほとんどなかったが、83年のデビューと同時に多くのティーンズの心を捉え、彼らのあいだに「メッセージ・ソング・ロック」という幻想さえつくりだした。大バンドブーム期に、メッセージ型ミュージシャンが多数生まれるが、そのきっかけの一つをつくったのはまちがいなく尾崎豊である。

  ②、BOOWY

   ・尾崎豊と同じく83年に登場したのがBOOWYである。彼らによって日本ロックのオリジナリティは完成された。すなわち、テクノ/ニュー・ウェイヴ期まで、日本のロックは“移入文化”の痕跡をとどめつつ「日本固有の現在を表現しうる新しいポップの体系を構築しようという意思」が見えかくれしていたが、BOOWY以降、ポップシーンの表舞台からそうした意思を見いだすのは困難になった。洋楽としてのロックは、文化ではなく、たんなる技術・技能になったのである。音の向こう側にある文化やライフスタイルはもうどうでもよかったのだ。それは、自動車・家電などの分野で欧米市場を支配し、多額の貿易黒字に浮かれた80年代半ば以降の経済環境、そして同時期の虚勢にも似た日本人の“自信”をもろに反映したものだったのである。

  ③、まとめ

   ・こうして尾崎豊とBOOWYを軸としながら日本ロックにはかつてないほどのドメスティックな環境が生まれることになった。それは、オリジナリティの開花と見ることもできれば、ある種の鎖国状態とも見ることのできる。

2、ロックのプライベート化

 (1)、ロックのプライベート化

  ・こうした大衆化とは相反する動き、つまりプライベート化・セグメント化(細分化)も生まれた。

 (2)、パンクからハードコア・パンクへ

  ・パンクやニューウェイヴに触発された“80年代生まれ”のバンドやミュージシャン達にとって、メジャーのロックはすでにロックではなく、たんなる旧体制ポップにすぎなかった。彼らはメジャー相手に正面から戦いを挑むのではなく、自分たちのシーンをゲリラ的・ミクロ的に確立した。スターリンの影響下に生まれたハードコア・パンクが、こうした流れを象徴している。

 (3)、インディーズレーベルの出現と形骸化

  ①、インディーズレーベルの出現

   ・こうした流れを受けて、レコードビジネスの側にも一大変化が訪れた。多数のロック系のインディー(独立)・レーベルが誕生したのである。ナゴム、 ADK、AA、アルケミー、セルフィッシュなどがその代表だが、この動きは東京から地方にも波及、おまけに大手レコード会社までレーベルをあらたに設立して、インディーズは一種のブームにまでなった。音楽的な指向性も背景も異なるバンドがインディーズという言葉で一括され、LAUGHIN' NOSE、THE WILLARD、有頂天の三バンドをインディーズ御三家と呼ぶような風潮も生まれた。

  ②、インディーズレーベルの形骸化

   ・当初は自由度の高い作品づくりがインディーレーベル設立の動機だったが、80年代半ばになると、ビジネス面での優位さが注目を集める。インディーマーケットでは、多額のプロモーション費用・流通費用などをかけなくとも、確実に数千単位の新譜を売りさばけるのだ。大手レコード会社がこの点に目をつけないはずがない。そこでインディーズシーンで活躍するアマチュア人気バンドの青田買いが始まり、インディー系からメジャー系へ鞍替えするバンドが続出した。ミュージシャンの側も、自由な表現を場としてではなく、インスタントに世に出られる場としてインディーズを選ぶようになった。その結果、80年代後半のインディーズシーンは、メジャーシーンへの1ステップにすぎなくなってしまった。

<参考文献>

 『J-ROCKベスト123』(篠原章、講談社、1996)

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