20141215 ロック巌流島より
萩原「東海岸と西海岸のブルー・アイド・ソウルときて、今度は真ん中に行きましょうか。」
近田「真ん中というとどこらへんですか。」
萩原「例えば、デトロイトとか。デトロイトといえばミッチ・ライダー(Mitch Ryder)じゃないですか。ミッチ・ライダー・アンド・ザ・デトロイト・ホイールズ(Mitch Ryder And The Detroit Wheels)。東海岸だとわりとスムーズに歌う人が多い中で、このミッチ・ライダーと言う人は黒人のコミュニティーの中でクラブシーンで育ったというところもあるから、声がすごいですよね。」
近田「喉の強さというか。やっぱり鍛えられているんだね。マイクなしでも声が通るという、そういう感じの声ですよね。」
萩原「では、ミッチ・ライダー・アンド・ザ・デトロイト・ホイールズで聞いてください。I Never Had It Better。」
萩原「フォー・シーズンズ(The Four Seasons)のプロデューサーってボブ・クリュー(Bob Crewe)じゃないですか。ミッチ・ライダーもボブ・クリュー。後にディスコ時代に入るとLady Marmaladeって曲がありますが、あれもボブ・クリューだし、Get Dancin'もボブ・クリューなんですよ。要するに、こういう人がずっと1950年代くらいからのフィラデルフィアからはじまって、ずっと好きな事をやり続けているのがブルー・アイド・ソウルになったり、ディスコミュージックになったりと連なっているんです。ディスコは、ソウルっぽい所を抜いてしまった、ある意味ブルー・アイド・ソウルの究極みたいな所のものです。」
萩原「続いて、東海岸と西海岸以外だと、バッキンガムズ(The Buckinghams)というグループがありまして、これはイリノイ州のシカゴですね。James William Guercioというプロデューサーが手掛けていて、後のブラスロックのシカゴ(Chicago)のプロデューサーですね。ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ (Blood, Sweat & Tears)もセカンドはJames William Guercioで、後のブラスロックの原型みたいなものですね。今日聞いていただくのはMercy, Mercy, Mercy。キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)というジャズのサックス奏者がはなった大ヒット曲ですが、この曲を作ったのはキャノンボール・アダレイで当時キーボードを弾いていたJoe Zawinul。この人は、ウィーン生まれの白人ですからね。キャノンボール・アダレイがこの曲を出した時に、ついにブルースやソウルといったものまで、ヨーロッパの白人が聞くようになってしまったって、複雑な批評が結構でました。ある意味、このブルー・アイド・ソウルというテーマの中では重要な曲なんです。それに歌詞をのっけてバッキンガムズがカバーしました。バッキンガムズでMercy, Mercy, Mercy。」