20190929
イギー・ポップの「Free」というアルバムを紹介していと思います。海外情報で児島さんが、イギー・ポップは大変元気です。でも今回のアルバムは全然違って、それこそ彼自身は曲を書かず、若いミュージシャンに身を任せ、そして彼自身パンクロックをやっていたのは別にそれが死ぬほど好きだっていうわけではなくて、技術がなかったからあれしかできなかったんだ、俺は本当はジャズとかファンクとかいろいろなことをやりたかったんだという衝撃の告白がありました。しかし、今となっては新しいことをやれるから、この「Free」という作品ではいろいろなことに挑戦しているんだと。これについては、BBCでラジオ番組をやっていて、そこで新しいアーティストの曲を紹介していたし、それについてふれる機会があったのでこういう作品を作ることができるようになったんだよという発言を、イギー・ポップ自身から直接児島さんが聞いて、それを紹介して彼のアルバムから1曲かけたんですけれども、今回は数曲を紹介したいと思います。このアルバムを発表する前にイギー・ポップというのはある意味キャリアのピークを迎えていたんですよ。日本ではその辺がどれだけリアルに伝わっているのかはなかなか難しところなんですけれども、「Post Pop Depression」というアルバムが2016年に出たんですけれども、この作品が彼のキャリアの歴代ナンバーワンのセールスを記録して、彼の所属するレコードの年間ナンバーワンになり、これだけ長いキャリアの中で今までの最高のセールスを記録したっていうのはすばらしいことで、そして、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ(Queens of the Stone Age)のジョシュア・ホーミ(Josh Homme)と組んでアルバムを引き下げてのツアーが大成功して、まさにこの70を超えて彼自身はキャリアのピークを迎えたっていうその後に作られた作品で、それがこういう作品になったというのはどういうことなのかということを、イギー・ポップ自身がこのアルバムのライナーノーツを書いていて、それで語られています。
「Post Pop Depression」ツアーが終わる頃、ずっと俺の人生とキャリアにつきまとっていたものからようやく解放された気がした。でも同時に疲れ切っていた。サングラスをかけて、すべてに背中を向け、何もかも置き去りにしたい気分だった。自由になりたかったんだ。そんなのは妄想だし、自由なんてただの感覚にすぎないのはわかっている。でもその自由な感覚だけを追求して俺はいままで生きてきた。幸福感や愛よりも自由を感じたかったんだ。音楽を聴く側にまわることで俺は変わった。ギターリフを敬遠するかわりにギタースケープを求め、電気音のかわりにホルンを、そしてバックビートのかわりに音の広がりを求めるようになった。それと頭の中にあるよどんだ思いや悩みのかわりに、他人が書いた詩に浸るようになった。そんな中からこのアルバムが自然に生まれ、あとは流れにまかせていったんだ。
これ以上のこのアルバムの説明はいらないんじゃないかなと思います。Loves Missing。
続いては、イギー・ポップ自身がライナーノーツで「頭の中にあるよどんだ思いや悩みのかわりに他人が書いた詩に浸るようになった」というその表現をそのまま楽曲にしたナンバーを聞いていただこうと思います。ここで「他人の詩」とは、ルー・リード(Lou Reed)の詩です。ルー・リードがザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) をやめて、その後にソロ活動を始める前の1971年、ニューヨークの教会で詩の朗読をやって、その詩をイギー・ポップがルー・リードのポエトリーリーディングとはかなり違う形で、彼なりの解釈でやったWe Are the Peopleというナンバーがあります。
俺たちは土地を持たない人民
俺たちは伝統を持たない庶民
俺たちは心安やかに死ぬことも知らない民衆
俺たちは未来の終焉を悲しむ思いそのもの
俺たちは一握りの支配者と王様の道化師たちさ
俺たちは権利を持たない人民
俺たちは嘘と絶望しか知らずに生きてきた庶民
俺たちは故郷も声も模範も持たない民衆
俺たちは人々が密集する広大で凶暴な国家から帰還した未来を占う存在
俺たちはただむなしさだけが詰まった無数の浅はかなマニュフェストの犠牲者さ
俺たち人民には国なんていうものはない
国家の威信なんてものは才能を打開した見せかけの才能には関心がない
俺たち庶民は感情をすっかり超越している
感情は思考に従わないからさ
俺たち民衆は自らの手で破壊することを思いつきそれを合法的に実行するんだ
俺たちは他人の思考に巣食う虫
昼間の夜間の空間の人種も国家も宗教も持たない神の犠牲者さ
俺たちは人間
人間そんな生き物なのさ
彼自身はこのアルバムで自分の声を貸しただけさと言ったのですが、まさに声を貸しただけで詩もサウンドも全部他人のなんですが、思いっきりイギー・ポップだと。すごいですよね。その声、存在感。読み方ひとつ。ザ・イギー・ポップ。すばらいし作品だと思います。