1、マーケティングポップとは?
・バンドバブルが崩壊した後にやってきたのはマーケティングポップの時代である。需要サイド(ポップの「消費者」である人々)の欲求を汲みながらつくられる、ある意味で緻密に計算されたポップの時代である。この種のポップでは、供給(制作)側の主役はミュージシャンでもソングライターでもない。レコード会社、プロダクション、テレビ局、広告代理店、それにミュージシャン・作詞家・作曲家・編曲家などによる共同作業によってはじめて生産される。アメリカのショービジネスに端を発するこの手法そのものは、70年代後半から徐々に日本にも浸透していったもので、必ずしも新しいスタイルとはいえない。しかし、90年代に入って、ビーイングなどの有力プロダクションが、これを徹底させるようになってから俄然注目を集めるようになった。少なくともメジャーシーンでのビッグヒットは、なんらかのかたちでこの手法を使っている。
・ユーミンが独自の情報収集力を発揮して時代の特性をさぐり、自らの作品に反映させていることは有名な話である。ビッグヒットを継続的に放つ他のミュージシャンも、ユーミン同様の作業をどこかで行っているはずである。が、テレビドラマやCMなどとのタイアップを通じて、ヒットづくりに関わる一連の作業がシステムとして自覚的・組織的に行われるようになったのはやはり90年代の特徴といえる。しかも、もはやCDの売り上げだけが目標ではない。ビデオソフトとしての作品化も同時進行的に行われるから、ビジュアル面での配慮も以前にまして重要になっている。おまけに、カラオケ時代の本格化で、カラオケでいかに歌われるかまで見通した曲作りも求められる。こうして生みだされたマーケティングポップにはミュージシャンの顔は必要ない。言い方を換えれば、無名のミュージシャンを多数ストックしておいて、マーケティング装置のはじき出した理想的なミュージシャン像にいちばん近い人物を選びだせばよい。
2、マーケティングポップの功罪
(1)、いい面
・ポップのこうした生産方法は、必ずしも責められることではない。消費者の嗜好に合った商品をつくるのが市場経済の道理である。逆に言えば、消費者の嗜好に合わないものは淘汰されてしかるべきである。
(2)、問題点
・現在のマーケティングポップが、万能であるという保証はない。ポップはいつもその内部から革命家を生み、旧体制ポップが新体制ポップにとってかわられることで命脈を保ってきた。誤解をおそれずにいえば、ロックとは、古いポップ体系を革新する新しいポップ体系を指すタームなのである。マーケティングポップがビジネスとして正しいとしても、新しいポップの体系が、この手法を通じて生まれるとはかぎらない。おそらくは予想もしないところから新しいロックの胎動・新しいポップの発生が見られるに違いない。マーケティングポップのように需要が供給をつくるのではない、供給が新規の需要をつくるのだ。それこそがロック的な経済原理である。
『J-ROCKベスト123』(篠原章、講談社、1996)